2017.01.28(Sat):考えてみる。
創刊は、明治12年(1879年)1月25日、土曜日だ。
創刊に至るまでには、紆余曲折がある。

本社は大阪で、定価は1部1銭(創刊2号までは無料頒布)。
4ページで、活字にはルビが振られ、写真の代わりに挿絵が描かれていました。
当時の新聞は、政治の話を小難しく書いた「大新聞」と、読み物や雑報を中心に平易な文章で書いた「小新聞」の2つあり、朝日新聞は、小新聞としてスタートしたのです。

朝日新聞創刊号


創刊号の部数は3000部ですが、400号のとき、すでに発行部数1万3000を超えていました。
朝日新聞の創業者、その人物の名は木村騰は、社業が栄えるうちに放蕩に明け暮れ、株を村山龍平に譲渡したのは事実だ。
木村騰は、醤油醸造業だった木村平八の息子で、独立して西洋雑貨の店を営んでいたのだが、時代は自由民権運動が盛りあがりを見せており、人々はニュースに飢えていました。
ある日、騰は新聞を発刊したいと父に相談したところ、最初は反対されたものの、最終的には資金を出してもらうことに成功。
親友で同業だった村山龍平と発刊にこぎ着けのです。

最初の朝日新聞社屋
最初の朝日新聞社屋(大阪)

明治14年、木村はすべての株式を村山龍平に譲渡。
村山は経理担当だった上野理一と共同出資の形で経営することになり、資本金3万円、このうち1万円が木村に渡されました。
(現在でも朝日の社主は村上家と上野家です)

当時は東京日日新聞(現・毎日新聞)も大新聞の見識を保っていたとされてきました。

しかし、時の流れとともに両新聞社は、かたや「捏造新聞」、もう一方は「変態毎日」と揶揄されるしまつだ。

【朝日新聞社説】「偏見」番組 放送の責任わきまえよ
事実に基づかず、特定の人々への差別と偏見を生むような番組をテレビでたれ流す。
あってはならないことが起きた伝伝・・・
高書き出しがあるが、朝日新聞の捏造記事とTV朝日系列の番組の偏向報道が国民に知れ渡った現在、


「おま言う」
「捏造新聞がどの口で言うんだよ」
「他人の振り見てわが振り直せ、朝日は捏造記事を早く謝罪しろ」

と、散々だ。
そう言われても仕方がないことを朝日新聞や朝日放送はやってきたし、いまだに反省の色もなく、思想誘導報道や偏向報道を繰り返している。

朝日新聞は読者に謝罪したが日本国民への謝罪はまだ行われていないし、世界に向けての謝罪と捏造、誤報、訂正記事の発信もやっていない。

こういったメディアに広告を堂々とだしている企業も同罪だと言えるのではないだろうか。
朝日新聞が、生まれ変わるのはむりだろう。
廃刊まで国民が追い込むしかない。

公共の電波を利用しているTV放送は、総務省がもっと真剣に取り組んで、停波しないといけないだろうな。
いつまでも甘い対応をしていると、今は支持率が高い安倍政権だが、そんなものは一気に下がることだってある。

健全な野党が育っていない今、自民党の次に投票するならどこと聞くと、「日本維新の会」という答えが圧倒的に多い。
昨日の衆参予算委員会、衆院本会議を見ていても、維新の会の議員は「提案」をしていた。

比べるのも失礼だが、民進、共産はあまりにも各議員の能力が低すぎる(勉強不足)

捏造、偏向から抜けきれない「朝日新聞」その他左巻きの新聞の行くすえは真っ暗であるのは疑いようもない。。
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