日本が「悪者」と決め付ける、マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授

天皇制を批判し、日米同盟の強化も危険と論じる米国の日本研究家のマサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授の歴史認識がどこから考えてもおかしい。

ダワー教授
ジョン・ダワー米マサチューセッツ工科大(MIT)名誉教授

この方は、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」を事実と決めつけ、「帝国主義」国家が「侵略」し、人民は抑圧されたとみなす。
それ以外の史観を、「歴史修正主義」と排外視するのだ。

日本には行き過ぎた愛国主義者が存在しているので、戦争が日本にもたらした結果や日本人がアジアで行ってきたことに真摯に向き合えなかった。
未だに向き合えていない。『あれはひどい戦争だった』と。
日本が各国に戦後賠償を行ってきた金額とかまったく知らないようだ。
もっと言わせてもらうと、従軍慰安婦や南京虐殺などで反日プロパガンダを繰り返す中国と韓国の代弁者でしかない。

マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授の思考の偏向は、日本研究家として大先輩であるハーバート・ノーマンを敬愛し、日本を「解体すべき危険なファシズム国家」と位置づけるノーマン理論を引き継いでいるからだと言われている。

ノーマン

知らない人も多いろ思うが、英国立公文書館所蔵の秘密文書でMI5(英情報局保安部)が共産主義者と断定したノーマンの歴史観は、自虐史観というよりマルクス主義史観であるという点だ。

「戦前まで封建社会にあった日本は専制的な軍国主義国家がすべて悪い。
容赦なく国家体制を解体し人民を解放すべし」というノーマンの「暗黒史観」は日本を弱体化させる占領政策を進めていたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のニューディーラーたちに重宝された。
しかし、冷戦が始まり、米ソ対立が激化すると、マルクス色が強い赤い「民主化」政策が終焉を迎えるに至ったのである。

1949年に共産中国が誕生し、翌50年に朝鮮戦争が勃発し、米国は日本を東アジアの共産主義の防波堤に活用した。
懲罰的な占領政策は取りやめて日米安保条約を結んで日本を同盟国に格上げしてサンフランシスコ講和条約発効とともに西側自由主義陣営の一員として経済復興を支援するようになる。

この政策転換を支えたのが駐日米国大使となったエドウィン・ライシャワーの理論だった。
「戦犯裁判や公職追放を通じて一部の軍国主義者たちを排除した結果、日本は再び民主主義国家として再出発できる」と対米従属の日米安保条約のもとで、日本を同盟国として扱うことを正当化した。
蜜月だった日本共産党は非合法化され、徳田球一も野坂参三も中国に逃亡する。
公職追放が解除されて旧政財界人等の復帰がはじまり、レッドパージにより、保守勢力の勢いが増した。マッカーサー命令による警察予備隊の編成が再軍備の端緒ともなったのである。

米国内でノーマンが共産主義者でソ連のスパイではないかとの疑惑が広がったのがこの頃だ。
50年にカナダ外務省は46年8月から駐日カナダ代表部主席を務めていたノーマンを解任する。
カナダ外務省本省からカナダの国連代表となったノーマンに対して米上院司法委員会国内治安小委員会が共産主義との関連を追及するのは51年8月からだ。
ここに来てようやく米国ではノーマンは「アジアの共産化を企てる共産主義者」と批判されるようになり、学問的影響力を失ったのだ。

ノーマン復権を唱えたダワー教授の理論の下敷きになったのが米国でベトナム反戦運動を展開したニュー・レフト(新左翼)だったのは歴史好きには有名な話だ。
ソ連の支援を受けた北ベトナムが勝利し、共産政権ができれば、東南アジアにも共産主義政権が誕生し、世界共産化が進むと考えていた。
だが、1965年のインドネシア共産クーデターが阻止され、反共を掲げる東南アジア諸国連合(ASEAN)が創設され、不発に終わった。

そこでニュー・レフトの理論的指導者、カリフォルニア大学のヘルベルト・マルクーゼ教授が1969年、『解放論の試み』を出版し、このマルクーゼ理論を基にダワー教授は、ベトナム、ひいてはアジアの民主化を阻害する米国の帝国主義者たちがアジアで影響力を保持するのは、日米同盟と日本の経済力があるからだとして、日米同盟を解体し日本を弱体化することが、アジアの民主化につながると思考の偏向が始まる。

マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授何をしようとしたのか?

昭和天皇の戦争責任を不問にした東京裁判が不徹底に終わったため、日本は『過去の侵略を反省できない、アジアから信頼されない国家』になったと提唱し、東京裁判のやり直し、アジア諸国への加害責任の追及を行う事、加害責任の追及を行う日本の『抗日連合会』や土井たか子元社民党党首らと連携して、家永三郎氏にノーベル平和賞を授賞させる運動を展開した。

「暗黒史観」であるノーマン理論を引き継いで「未完の占領改革」を徹底させ、日本の加害責任を改めて追及して日本を弱体化させ、アジアの民主化を促すという世界戦略が米国のニュー・レフトの間で確立されたのである。

また、一橋大学の油井大三郎名誉教授は1989年にノーマンを再評価し、武装解除されても、天皇制が残るならば、日本は他の世界にとって未解決な危険な問題であり続ける」とのノーマンの発言を引用して、アジアから信頼を得るには、日本人自身が天皇制解体や加害責任追及を完遂するべきだと唱えたのである。

ノーマンが説いた「アジアへの加害者責任」の自虐史観は日本に浸透し、日本で謝罪外交の必要性が理論化された。
日本国内で運動の中心的役割を果たすのが家永教科書検定訴訟支援運動だった。
この結果、1980年代後半ごろから日本を始め世界各地に日本に謝罪と補償をさせる「反日」組織が誕生することになった。

東南アジアなどの戦争の被害地を訪問して加害者としての日本の歴史を確認する「ピース・ボート」運動が83年に辻元清美衆院議員が発起人となって始まる。

84年には家永教科書訴訟を支援する形で「南京事件調査研究会」が発足され、84、87年に中国を訪問し、中国側の主張に沿って『侵華日軍南京大屠殺資料専輯』を翻訳して出版するなど「南京大虐殺」キャンペーンを始めている。
また八六年には、中国、韓国などの反日活動家を訪日させ、日本の加害責任を追及する国際ネットワーク構築が始まった。

韓国で親北系のハンギョレ新聞で「『挺身隊』怨念の足跡取材記」の慰安婦キャンペーンが始まるのは90年1月だった。
翌2月17日、戸塚悦朗弁護士が国連人権委員会で「従軍慰安婦・強制連行」を取り上げた。

在米中国人が日本の戦争責任を蒸し返して米国や国連を舞台に日本に謝罪と補償を求めて反日宣伝を行う「対日索賠中華同胞会」が出来るのは87年だ。
狙いを「南京大虐殺」に絞った「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」を結成、翌92年にはカリフォルニアで「抗日戦争史実維護会」が組織される。

米国での中国系反日運動に連動して88年に香港で「香港紀念抗日受難同胞聯會」が結成されたのを皮切りにカナダなど世界各地で同趣旨の組織が結成され、94年12月、30を超える中国系反日組織を結集させる連合体として「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)が結成される。
中国政府と連携した中国系米人たちが「日本に戦争での残虐行為を謝罪させ、賠償させる」ことを主目的に設立した「抗日連合会」が、「歴史戦」の主役として北米で日本の戦争責任を追及する苛烈な反日プロパガンダを何十年も繰り返し続けている。

戦犯裁判や対日講和条約での日本の責任受け入れを一切、認めない点で明白な反日組織だ。
昨年、カリフォルニア州グレンデール市やニュージャージー州で慰安婦像を設置したのは記憶に新しい。
「南京大虐殺」を目撃したとするドイツ人のジョン・ラーベの日記を発掘し、ドイツを「南京大虐殺」キャンペーンに捲き込んだり、反日集会に参加したアイリス・チャンに『ザ・レイプ・オブ・南京』を執筆させたりしたのも「抗日連合会」だった。

第二次世界大戦前後に米国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、米陸軍情報部が傍受し解読した記録「ヴェノナ文書」を1995年、米国家安全保障局(NSA)が公開し、第二次世界大戦前後に、米政府内に約300人のソ連のスパイが潜入し、ルーズべルト政権はソ連や中国共産党と通じていたことが確定している事実も知っておいたほうがいいだろう。

ダワー教授らが「日本悪玉論」を発信する原点となった「日本の敵」ノーマンを我々はもっと勉強する必要があるのではないか。。

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