2016.12.20(Tue):Topical news
狂った民族の本領発揮だ

「安重根(アン・ジュングン)義士の東洋平和論精神を称え、未来の平和増進を図るため、アジア平和賞をつくることを決めた」

安重根(アン・ジュングン)と聞いても知らない日本人も多いだろう。
簡単だが、少し説明を加えておこう。

1909年10月26日 統監を辞任して密院議長となった伊藤博文は、日露交渉のために満州のハルピンを訪れた。
              韓国人安重根が公爵伊藤博文をハルピン駅頭で射殺したピストルで6発発射のうち3発が命中した.。
             (いずれも致命傷)
              「大韓國万歳」と三回叫んで、即刻その場でロシア官憲に逮捕され、日本官憲に引き渡された。
              伊藤は「犯人は韓国人」と聞いて、「バカなやつだ」と言ってから死亡した。
  同   11月 4日 伊藤は東京で国葬にされる。
1910年 2月14日 旅順の関東都督府地方院で死刑判決。
  同   3月26日 午前十時安は旅順監獄で死刑・殉国(享年32歳)。

韓国では、安重根(アン・ジュングン)が英雄視されている。
彼は1909年に、日本の初代内閣総理大臣で、初代韓国統監である伊藤博文を暗殺した人物である。

伊藤博文暗殺

安重根が犯行の際に所持していたのは7連式のブローニング拳銃。
安重根が使用したブローニング拳銃はベルギーのFN社製のもので、拳銃の製造番号(262336)から、1906年9月8日に「クンフト社」に販売されたものであることが解っている。

韓国では「反日」が国是なので、日本の重要人物を暗殺した安重根は英雄とされる。

少し調べてみると、安重根は反日思想の持ち主ではないことが分かる。
彼は平和を望んだクリスチャンであり、日本という国や明治天皇に敬意と感謝の念を持っていた。
日韓問わず安重根を「反日の象徴」として捉えている人は、史実を調べていない。

例えば、安重根は暗殺事件の裁判で、日本が、大韓帝国(=李氏朝鮮が1897年から1910年まで使っていた国号)の皇太子、李垠(イ・ウン)の教育に尽力したことに触れ、国民が感謝していると述べている。
日清・日露戦争を通じて、日本が朝鮮半島を含む東洋の平和を守ったことも評価している。
明治天皇が韓国の独立をはかり、平和の維持に努めたことも理解している。

問題は、安重根が、伊藤のことを「明治天皇の意向に反した政策を朝鮮半島で行う逆臣」と思い込んだ点にある。
現実には、伊藤こそが李垠を日本に招いて教育した張本人である。
しかも日韓併合反対派の中心人物だった。

日韓併合で朝鮮半島は日本の一部となり、朝鮮人は日本国籍となった。
大日本帝国は国家の威信にかけて、朝鮮半島の衛生改善やインフラ整備、産業育成、教育レベル引き上げに取り組んだ。朝鮮民族の独自性も尊重し、ハングルを普及させた。

反日でも構わないが、歴史的事実は知るべきだ。結局、安重根による伊藤暗殺が日韓併合を招き、韓国近代化を加速させた。

安重根は何者かに嘘の情報を吹き込まれ、それをかたくなに信じたせいで、祖国の大恩人を暗殺する過ちを犯したのだ。

英雄(義士)として崇められているが、実は暗殺犯は他にいるというのが通説だ。
理由は、伊藤がうけた右肩から斜下への傷である。
伊藤の身体に残された弾痕は右上から左下へと入っていた点。
右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能であるという事がわかっている。
暗殺の構図
伊藤の随行員だった室田義文は『室田義文翁譚』に伊藤の体内から取出された銃弾は安重根が使用したブローニングの七連発拳銃のものではなく、フランス騎馬銃のものだったと記している事からも理解できるだろう。
韓国皇帝?
高宗(コ・ジョン)(1852~1919年)
伊藤博文が暗殺された翌日(10/27)に韓国皇帝(高宗)は伊藤のことを「韓国の慈父」だと述べた。
伊藤を失った事は、我が国だけの不幸ではない。
日本だけの不幸ではない。
東洋の不幸である。
その暴徒が韓国人である事は、『恥ずかしさの極限』である。とも述べているのだ。

こういった歴史を直視しない韓国人の稚拙さは、世界中のどの国よりも優れている(爆笑)

ソウル市と姉妹都市を結んでいる都市は、即刻、姉妹都市を破棄すべきだろう。

韓国では「反日」が国是だという事を日本人は理解しておかないといけない。。



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