極東密約(ヤルタ協定)

こんばんは。

産経ニュースにも出ていたが、北方領土の話だ。
今月15日に山口県長門市において「日露首脳会談」が予定されている。
そんな折、ロシアがソ連時代から北方領土領有を主張する最有力根拠としてきた「ヤルタ密約」(ヤルタ協定のうち極東密約)の有効性について、ルーズベルト米大統領が権限を越えて署名し米議会で批准されていないことを引き合いに、英政府が大戦終了後の1946年2月に疑念を示していたことが英国立公文書館所蔵の英外交電報で明らかになった。

英外務省、露の北方領土領有の根拠「ヤルタ密約」に疑念 「ルーズベルト米大統領が越権署名」 外交公電で全在外公館に警告
電報の冒頭には「ソ連のスターリン首相、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相が45年2月11日にクリミア会議(ヤルタ会談)でソ連の対日参戦条件について極秘に合意した密約内容の文書が含まれる」と記され、米英ソ3政府が合意から1年後にあたる46年2月11日に、それぞれの議会で合意文書を発表するとしていた。

ニュースではザックリと書かれているだけなので、少し深く切り込んでみたい。

極東密約(ヤルタ協定)
この協定は昭和20年(1945)2月、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連が、ソ連にある保養地ヤルタに集まって取り決めた秘密協定のことを指す。

1944年12月14日にスターリンはアメリカの駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンに対して樺太(サハリン)南部や千島列島などの領有を要求しており、ルーズベルトはこれらの要求に応じる形で日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連の対日参戦を促したことに始まる。
ソ連の強い影響下にあった外モンゴル(モンゴル人民共和国)の現状を維持すること
樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること
千島列島をソ連に引き渡すこと、満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益を確保することなどを条件に、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月を経てソ連が対日参戦すること
などが取り決められた。

ヤルタ密約は、当事国が関与しない領土の移転は無効という国際法の条文に明白に違反している。
故に、ソ連・ロシアによる南樺太及び千島列島を侵略・占領する法的根拠がまったくないのだが、日本政府がまともに抗議せず、また、アメリカに反省がないため、南樺太、千島列島は現在に至るまでソ連に占領されたままである。
これがいわゆる「北方領土問題」だ。


ヤルタ密約


ヤルタ協定は、第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年2月4日から11日までの8日間、ソ連・クリミア半島のヤルタ市(現ウクライナ領)の南方にあるリヴァディア宮殿を会議場に、アメリカ・イギリス・ソ連の3首脳が会談した際に、日本に関して結ばれた秘密協定の内容です。
ロシアはこの密約を根拠に、北方領土の実効支配を正当化していますが、この協定はあくまで密約であり、 「当事国が関与しない領土の移転は無効である」という国際法の条文に明白に違反しています。

第二次大戦末期、ソ連の対日参戦を決めたヤルタ会談で、チャーチル英首相の通訳を務めたヒュー・ルンギ氏(89)が本紙のインタビューに応じ「千島列島は日本の領土で、ソ連への引き渡しを決めたヤルタ協定は国際法上間違いだった」と語った。
会談では、体調がすぐれないルーズベルト米大統領に対し、ソ連最高指導者スターリンはメモなしで堂々と議論を進めたという。


チャーチル英首相の通訳「千島列島引き渡しは国際法上誤り」

オックスフォード大卒のルンギ氏は大戦中、モスクワで英軍のロシア語通訳として勤務。
米英ソ首脳による1943年のテヘラン、45年のヤルタ、ポツダムの3会談、44年10月の英ソ首脳会談で通訳を務めた。

ヤルタ会談についてルンギ氏は「ソ連は対ドイツ戦の勝利をほぼ手中に収めていた。
スターリンはご満悦の様子で、彼を取り巻く空気は快活そのものだった」と振り返る。
そして「極東問題はルーズベルトとスターリンの2人で話し合われ、チャーチルは署名に応じただけだった。
それが公に知られるようになったのは戦後何年もたってからだ」と語る。

ルンギ氏がヤルタ協定の存在を知ったのも戦後のことだが、「スターリンはルーズベルトに『千島列島は日本が第二次大戦で占領した領土の一部だ』とデタラメの説明をした。
ルーズベルトは、千島列島が日本の領土になった歴史的経緯を正確に示した米国務省の資料に、目を通していなかった」と説明。「千島列島は1875年の樺太千島交換条約でロシアから譲渡された日本の領土で、引き渡しは国際法上の誤りだ」と断言した。

北方領土とヤルタ会談


チャーチルのすぐ後ろで3首脳のやり取りを観察した氏は、スターリンについて「彼はすべての事実と、自分が何を求め、何を成し遂げたいのかを知っていた。
非常に簡潔に要点を突いて話し、袋小路に迷い込むことはなかった」という。
すべて暗記していて誰の力も借りず受け答えし、「会談中、一切メモを受け取らず、決意が固いことを周囲に見せつけようとしていた」という。

一方、高血圧を患っていたルーズベルトは「見るからに調子が悪そうだった。
顔はロウのように黄色かった。
顧問団から多くのメモを受け取り、質問に答えるのを助けてもらっていた。
チャーチルともメモを交換していた」と振り返る。

3つの会談で米英ソによって戦後秩序が決められたにもかかわらず「ソ連はかなり邪魔だてしていた。
スターリンは、ソ連が対ドイツ戦で攻勢に転じたクルスクの戦い(1943年)など、ドイツに関する軍事情報を一切米英に与えなかった。
猜疑(さいぎ)心が強いスターリンは全員を敵とみなしていた。冷戦は大戦中からすでに始まっていた」と語った。

この会談以後の戦後体制をしばしばヤルタ体制と呼び、この会談以降、アメリカを中心とする資本主義国陣営と、ソ連を中心とする共産主義国陣営の間で本格的な東西冷戦が開始されたと言われている。

いかがだろうか。

今日のニュースで分かること。

ソ連はヤルタ密約を根拠に当時有効だった日ソ中立条約を破棄し、満州(中国東北部)や北方四島に侵攻し占領。
後継国家のロシアも北方領土の領有権を主張してきた。

一方、米国では53年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で、「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言して問題が表面化。
56年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効」との国務省声明を発表し、ソ連の領土占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にした。

一方、当事国の一つである英国は立場を明らかにしてこなかったが、チャーチル首相が41年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則をうたう大西洋憲章に署名している。
今回の電報を通じ、密約が大西洋憲章に反するとの英政府の46年当時からの認識が示された形だ。

予定されている「日露首脳会談」でどのような進展があるのかは解らないが、歴史の事実を突きつけて交渉をして欲しいと願うばかりだ。
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