2016.12.01(Thu):歴史再考
こんばんは。

今夜は我が郷里の誇りである「藍染」の話。

徳島の藍染


藍染めの青い色は、「JAPAN BLUE」として世界に知られるほど深く鮮やかな日本を代表する色です。
馴染みがあるものとして、サッカー日本代表のユニフォームを「ジャパンブルー」と呼んでいますが、これも「藍色」を表現しているといわれています。

徳島は、この藍染めの元となる藍染料「蒅(すくも)」づくりの本場として、現在もその伝統が引き継がれ、徳島でつくられた蒅(すくも)を阿波藍と呼びます。

では、藍染めの一番の魅力とはいったい何なのでしょうか。
それは、やはり色そのものにあり、瓶(かめ)を覗いたときのように薄い色である「甕覗き」(かめのぞき)から始まって、「薄藍」(うすあい)、「浅葱色」(あさぎいろ)、「縹色」(はなだいろ)、「藍色」(あいいろ)、「勝色」(かちいろ)、「留紺」(とめこん)など、藍の色を表す様々な名称のとおり、多様な色彩美が染め出されることにあります。

阿波藍のはじまり

阿波藍の起源は平安時代、徳島の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために、栽培が始まったと伝えられています。
最古の資料は『見性寺記録』というもので、その中には宝治元年(1247年)に藍住町の見性寺という寺を開基した翠桂(すいけい)和尚が、そのころ寺のあった美馬郡岩倉(現在の美馬市脇町)で藍を栽培して衣を染めたと記されています。
その後、藍づくりは吉野川の下流域に広がっていきました。
『兵庫北関入船納帳』には、文安2年(1445年)に大量の葉藍が阿波から兵庫の港に荷揚げされたと記録が残っています。

戦国時代の藍づくり

戦国時代には、藍の色の1つである「勝色(かちいろ)」が、勝利につながる呼び名という縁起のよさから、武士のよろい下を藍で染める需要が高まり、ここから藍の生産が本格的に行われるようになったといわれています。
そして、それまでは、葉藍を水につけて染め液をつくる沈殿藍で藍染めを行っていましたが、天文18年(1549年)に三好義賢(よしたか)が上方から青屋(あおや)四郎兵衛を呼び寄せ、すくも(藍の葉を発酵させて染料にしたもの)を使った染めの技術とすくもの製法が伝わり、三好氏の城下勝瑞では、すくもづくりが本格的に行われるようになりました。

江戸時代に隆盛を極める

天正13年(1585年)、蜂須賀家政公が藩主となってからは、徳島藩では藍の生産を保護、奨励しましたので、いよいよ藍づくりは隆盛を極めたのでした。
徳島の藍は、その品質の高さからも別格扱いとされ、阿波の藍を「本藍」、他の地方の藍を「地藍」と区別されたほどでした。藍づくりを全面的にバックアップした蜂須賀家の力は大きく、一説には蜂須賀公が播州から入国した際に藍を持ってきたと伝えられています。
そして、徳島藩は、藍師や藍商から取り立てる租税で藩の財政を確立し、“阿波25万石、藍50万石”とまでいわれるほどになりました。
元禄時代には、全国的に木綿が多く生産され、それにともなって阿波藍も大量に生産されるようになり、その作付け面積は、寛政2年(1790年)に6,500町歩(ちょうぶ)もあったという記録が残っています。 ※ 1町歩=約3,000坪

藍の効用

藍には抗菌作用、防虫、防腐、防臭、保温、保湿、紫外線遮蔽など、さまざなまな効用があります。
また、化学薬品を一切使用していない藍染めは、赤ちゃんの産着としても使用でき、小さな子どものアトピー性皮膚炎の予防・緩和にも効果があるといわれています。

「JAPAN BLUE」とは誰が言った?

阿波をはじめ日本の藍が染め出す深みのある青を「ジャパンブルー」と最初に呼んだのは、明治8年(1875年)に来日したイギリスの化学者アトキンソンといわれています。
アトキンソン当時の日本人の着物を見て「ジャパン・ブルー」と呼び賞賛したほか、明治23年(1890年)には来日した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も「この国日本は神秘なブルーに満ちた国」と絶賛しています。

徳島の歴史を語るとき、藍を除いては語れません。では、なぜ徳島で藍の栽培が盛んになったのでしょうか。
徳島県の吉野川流域で藍づくりが盛んになったのには理由があります。それが「吉野川」です。
県内を東西に流れる清流「吉野川」は、その昔は、台風が来るたびに洪水を繰り返す「暴れ川」でしたが、その氾濫によって流域には肥沃な土が運ばれ、藍作を可能にしたのです。
また、洪水は毎年8月頃に来るのですが、藍は洪水の襲来する前の7月に収穫することができる作物であったことも、藍が栄えた大きな要因の1つでした。
洪水地帯で育った藍は粉にし、乾燥させ発酵させた後で、自然に固まった“すくも”という藍染めの染料となります。
この“すくも”は、吉野川の水運によって、江戸や大阪、名古屋などへ出荷されました。
うだつで有名な脇町などは、藍問屋の蔵が建ち並び、阿波藍の集散地として繁栄したのです。

うだつの町並み(脇町)
うだつの町並み(脇町)

そして現在、全国で使われる“すくも”のほとんどは徳島で作られており、まさに徳島は「藍のふるさと」と言えます。

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